植物の流通、交流が多くなる中で、経済の発展と共に、新花、珍花が高価で取引され、江戸時代全般に亘り投機的側面も強く持つ植物が多かった。古くはキクに始まり、オモト、カラタチバナ、マツバラン、ナンテン、マンリョウ、フクジュソウ等でこのような傾向が非常に強く見られた。このような植物は金を生む樹として「金生樹」と呼ばれるほどであった。カラタチバナ(百両金)、マンリョウ(万両)などの名称にもその名残が残っている。そのため一攫千金を夢見て新花作出のための育種が盛んになり、また各地の山野に珍品が求められた。この点ばかりを江戸時代園芸の特徴として非常に強調する園芸史家もいるが、イギリスやオランダ(特にチューリップ・バブルが有名)、中国など園芸の発達した国では同様なことがよくあり、また美術品等でも投機的売買は特別なことではなく、そればかりを強調しすぎるのは問題である[誰?]。
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他方、藩によっては藩士の情操教育や精神修養のために園芸を奨励するところも少なくなく、趣味、癒し、芸術的精神の発露の手段として園芸、育種を行なう個人、結社も少なくなかった。ハナショウブの父とも讃えられる旗本、松平菖翁(松平左金吾)やサクラソウの「下谷連」などはその例である。このようにして投機とは無関係に育種された植物も少なくない。
また栽培や繁殖の技術も追求され、冬期の保温の為に、今の温室やフレームに相当する暖室(おかむろ)や唐室(とうむろ)が考案されたり、多くの植物で様々な仕立て方や鑑賞方法が生まれた。