2009年06月26日

バグダッドなど大都市を占領すると

バグダッドなど大都市を占領すると、圧政から解放されたと感じた市民が略奪に走り、博物館の展示物や商店の品物が略奪の対象となった。これはこのような無政府状態に対する準備が行われていなかったことの表れでもある(略奪防止の措置は後手に回り、フォトジャーナリスト・森住卓の現地報告によれば、米英軍は他省庁を放置して石油省のみを厳重に警備していた。また、略奪物の8割ほどはイスラム聖職者などの教えによって返却された)。また市民の略奪の対象には市役所や警察署などが含まれており、米英軍はこれも防ぐこともできなかった。後に占領政策に移ると、市民の登録情報や個人情報、自動車の登録番号などが根こそぎ持ち去られるか、破壊されていることがわかった。このため、車爆弾や自爆テロで用いられた自動車のナンバーが判明しても、持ち主がわからないためレジスタンス組織の検挙に繋がらなくなっている。

2009年1月、ブッシュ大統領は最後の記者会見で対テロ戦争は正当化したものの、2003年に行なった「戦闘終結宣言」は誤りであった事を認めた。

復興業務には「ハリバートン」社、「ベクテル・インターナショナル」社らアメリカの民間企業がいくつも参加していた。戦闘終結直後に民間企業が続々と参加してくることは初めてであったが、これら実験的な政策はチェイニーらブッシュ政権閣僚の肝いりであったと言われている[36]。
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本来は軍が行ってきた輸送業務などを、安全が確保された地帯に限って民営化し、民間企業がトレーラーなどを使って食糧や物品、軍事物資を輸送する、民間企業は同時に石油開発事業も行って利益を得る、と言うものであった。アメリカ国防総省から見れば、戦争で大きな比重を占める輸送業務を民営化することで、その分の兵力と予算を作戦に回す事ができ、効率的だと考えられた。

しかし、実際にはイラクは戦闘状態であり、輸送任務についた民間のトレーラーは、アメリカ軍の護衛がついているとはいえ、すぐに武装勢力の標的となり、銃撃、爆弾攻撃、ロケット砲攻撃、殺人、誘拐が相次いだ。運転手にはアメリカ人の他、現地のイラク人やネパール人、フィリピン人ら賃金の安い外国人を雇用したが、彼らも数多く戦闘の犠牲となり、また度重なる攻撃によって幹線道路周辺は治安が悪化し、民間企業では手に余る状態となった。アメリカ軍は治安悪化によって兵力が不足し始めると、警備業務を民間軍事会社とよばれる企業に委託するようになった。高収入であるため、民間軍事会社に所属するかなりの数の警備員がイラクに入ったが、彼らも数多く殺害されている。武装勢力と戦闘して死亡した者も多い。

2009年06月10日

着色料(ちゃくしょくりょう)とは

着色料(ちゃくしょくりょう)とは、食品、医薬品、口紅などの化粧品などに色をつけるためのもの。

化学合成のタール色素、原材料から抽出の色素などがある。

世界各地で食品に使用される。食品を利用したものと食品添加物がある。 料理に彩りを与える効果がある。
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日本では食品衛生法により、食品添加物として食品安全委員会(食品安全基本法制定前は厚生労働省)がある添加量において反復投与毒性試験、発がん性試験、変異原性試験より審査されそれらの毒性がないことを確認の上、厚生労働省が成分規格、使用基準を定め承認される。製造は、食品添加物製造業の許可を取得した工場で行われる。なお、食品から作られ、食品衛生法改正前に使用されていた既存添加物(いわゆる天然添加物)は審査が行われていなかったが、順次、食品安全委員会により食品健康影響評価が実施されており、例えば、アカネ色素については遺伝毒性、腎臓の発がん性が認められたため、2004年(平成16年)7月5日を既存添加物からはずし食品に使用できなくなった。

なお日本においては後述するように、タール色素に対して安全性を問題視していたため、他国にないタール色素以外の色素が多数作られた。

一部の団体は実験動物に大幅に過剰摂取や皮膚に塗布させることによって遺伝子を傷つけたり、ガンを引き起こすことがあるという報告があったとして、安全性を問題している。 ただし、食品に含まれる量であれば相当な量を摂取しなければ影響はないという意見もある。

合成着色料は石油を原料としているため危険で、天然着色料は食品や植物が原料となるものが多いため安全というイメージがあるが、天然だから安全で合成だから危険と安易に判断するのは好ましくない。

2009年06月07日

子(ね、し)は十二支のひとつ

子(ね、し)は十二支のひとつ。通常十二支の中で第1番目に数えられる。前は亥、次は丑である。

子年は、西暦年を12で割って4が余る年が子の年となる。
子の月は旧暦11月
子の刻は深夜0時を中心とする約2時間。それにより、午の時刻の中心となる昼12時(正午)に対して、子の刻の中心である深夜0時を正子(しょうし)や子夜(しや)と言う。
子の方は北の方角である。
五行は水気
陰陽は陽である。
『漢書』律暦志によると「子」は「孳」(し:「ふえる」の意味)で、新しい生命が種子の中に萌(きざ)し始める状態を表しているとされる。
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後に、覚え易くするために動物の鼠が割り当てられた。俗説では、以下のような話が伝わっている。神が十二支の動物を決める際、家の門の前に来た順番に決めることにした。牛は動きが遅いからと真っ先に出かけ、一番に門の前についた。しかし、門が開けられる時、牛の頭の上に乗っていた鼠が牛の前に飛び出たので、鼠が一番になったという。なお、猫も十二支に入れてもらおうと準備をしていたが、鼠が集合の日をわざと間違えて教えたので十二支に入ることができなかった。それで今でも猫は鼠を追いかけ回すのだという。

2009年04月23日

露関係史

日露関係史(にちろかんけいし)では、日本とロシア(ロシア帝国、ソビエト連邦を含む)の二国間関係の歴史を述べる。両国は、ロシア人の極東進出と日本人の北方開拓の結果、隣国として友好と敵対によって複雑に彩られつつ密接な関係を結びながら歩んできた。
東方進出を図るロシア帝国は、1701年頃に日本人漂流民の伝兵衛らと出会って日本という国があることを知り、1705年にはサンクトペテルブルクに日本語学習所を設置した。1739年に安房国沖に接近したものの、江戸幕府は沿岸防備を強化した為、接触に失敗した。日本もこの頃までには、北方に「おろしや」という国があることを知るようになった。

カムチャツカ半島を領有したロシア人は、毛皮などを獲る為に千島列島でも活動し、日本も在住のアイヌを通じて部分的には交易を行うなど接触はされていたが、東方に土着したロシア人はヨーロッパから遥か離れたこの地で、物資の不足にあえいでおり、食料物資などの補給のために南方の日本との交易を求めていた。こうして18世紀にはロシアとほぼ隣国の関係となり、日本近海、とくに蝦夷地周辺に『赤蝦夷』と呼ばれていたロシア勢力が出現するに及んで江戸幕府の北方開拓を刺激することにもなった。

ロシアは東方のイルクーツクに、1764年に日本航海学校を、1768年に日本語学校をそれぞれ設置し、日本付近への航海を積極的に行うようになり、1771年には阿波国(あわ違いの可能性もある。安房国か?)にロシア船(「ベニョフスキー事件」又は「はんべんごろう事件」)が漂着する事件もあった。そして1778年、ロシア船は蝦夷地を訪れて直に通商を求めたが、翌年に松前藩はそれを拒否した。

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1783年、日本の船頭大黒屋光太夫が伊勢白子浦から江戸へ向かう航海の途上に漂流してアリューシャン列島に漂着した。一行はロシア人によって保護され、1791年には女帝エカテリーナ2世と謁見した。帰国を望んでいた光太夫は、1792年にロシア使節アダム・ラクスマンに伴われて根室に着いた。ロシアは漂着民を届けることを根拠に通商交渉を狙ったが、再度断られ、老中松平定信は周辺を巡視させた。

光太夫によって伝えられたロシア事情は桂川甫周の手よって『北槎聞略』にまとめられ、幕府にとっては鎖国時代における貴重なロシア情報となった。また、海外事情に通じた林子平がロシアの日本近海進出について説く啓蒙活動を行い、長崎出島でのオランダ通詞からの情報などでロシアに関する認識が深まっていった。1799年には松前藩にかわって幕府が蝦夷地の直轄統治を開始し、最上徳内や近藤重蔵に蝦夷地探検を行わせた。

1804年にもニコライ・レザノフが日本人漂流者を伴い、長崎に来航した。このとき幕府がロシアの開港要求を拒絶したため、レザノフは武力による通商開始を決意して蝦夷地の日本側拠点の攻撃をはかり、樺太と択捉島を襲撃したが、彼の病死により中断された。この緊張を背景に、1811年には千島列島を探検中に国後島に上陸したヴァーシリー・ゴローニンが幕府の役人に捕らえられ、その報復として日本の商人である高田屋嘉兵衛が連れ去られる事件が起こった(ゴローニン事件)。このような正式の国交をもたないままの緊張をはらんだ交渉は1821年までに落ち着きを取り戻し、蝦夷地は再び松前藩に返還される。


2009年04月22日

ナスカ文化

ナスカ文化(-ぶんか)は、紀元前後から600年頃まで現在のペルー共和国海岸地帯のナスカ市周辺に栄えた文化。ナスカの地上絵で知られる。アンデス文明のうち、灌漑設備が整備され開拓の進んだ前期中間期ないし地方発展期にあたり、同時代のモチェ、カハマルカ、ティアワナコと並ぶ。宗教的中心(巡礼地であるとされる)は、ナスカ川流域のカワチ遺跡とされている。

狩猟や農業を主な生業とし、わずかに漁業も行う。はじめは宗教的性格が強く、のちに軍事的性格が強まる。奴隷制は見られないが社会階層は厳格であったという。庶民はフジの骨組みに泥を塗ったキンチャと呼ばれる住居に住み、宗教的なピラミッドなどの公共建築物を築き、灌漑用水路を整備した。

まっち棒 きたみ ショートス バルト デンバー トスタチン チップ はじめて ばんか カラー ニュー ラジウム アドミラル プロフィット ネリカ スレッド 恋草子 ラッカー プレミア コリック サーフス ケード アサイン サーチ大潮 リンガ メイリオ オブラー ソクラ コサック からし菜 パラリ ゲバ上位 ヌーデン セルフレジ 草枕 トング 夢の果て ホソル びわ検 ひつじの涙 チャイ ナッツ パー 対策リマ ブラボ タイム ラングーン メキシコ ハクサンイ かいらん

初期の土器や織物は前代のパラカス文化を継承しているため同一の文化とみなす意見も強い。基本的にパラカスとナスカを分けるのは、主要伝達メディアが織物から土器に代わったことによるものである。パラカス期から製作されていた、彩文土器や象形壺、双注口土器などの南海岸特有の器形はナスカ期をも特徴付けるものである。ナスカの土器は図像の特徴、器形、発掘コンテクスト等をもとに第1期から9期に分けられる。ただし、現在の研究では8?9期は山岳部から侵入したワリの影響が強く、ナスカ期独自とするかどうかは研究者の意見の分かれるところである。ナスカ初期の土器では顔料彩色による焼成前着色の技法が使われ始める。

同じ初期の図像の特徴は動物や植物等の自然的表現、神話的表現の一つである神人同型図像(Mythical Creature)である。ナスカの特徴である「多彩色」土器はアンデス文明のなかでも屈指とされており、特に第3期から6期の土器には目を見張るものがある。第5期以降になるとメイン図像を描いた後の余白部分に、より細かい図像要素を使って埋めるような傾向が強まり、増殖的な表現が多くなる。また、戦いに関わる図像が増え、首級(Trophy Head)がしばしば描かれる。第7期になると前段階の文様をより省略したような図像となり、図像モチーフ自体の同定が難しくなる。さらに山岳部の影響を受けて土器の地色は白地から赤地となる。

2009年04月05日

山東京伝

山東 京伝(さんとうきょうでん、宝暦11年8月15日(1761年9月13日)-文化13年9月7日(1816年10月27日)は江戸時代の絵師、戯作者。本名は岩瀬醒(さむる)。通称は京屋伝蔵。合巻作者の山東京山は実弟。

寛政の改革で手鎖の処罰を受けたことで知られる。

江戸・深川の出身。生家岩瀬家は木場の質屋だったという。浮世絵師・北尾重寅に学び、草双紙(黄表紙)の挿絵画家、北尾政寅としてデビュー。のちに戯作者に転じ、山東京伝と号した。黄表紙や洒落本を数多く書き、売れっ子作家となった。曲亭馬琴も京伝に入門して、戯作者として出発した。

1791年(寛政3年)に出した京伝の洒落本と黄表紙が寛政の改革の出版取締りにより摘発され、手鎖50日の刑を受けた。それ以降、洒落本からは手を切り、読本などに転じた。晩年は『近世奇跡考』など風俗考証の著作も残した。

二度結婚したが、いずれも吉原の遊女上がりだった。
従来の戯作者はほとんどが余技で書いており原稿料もほとんどなかったが、原稿料が支払われるようになったのは山東京伝に対してが最初であるともいう。
尾張藩主・徳川宗勝の落胤説がある。

主な作品
黄表紙

『お花半七開帳利益札遊合』(1778年)京伝の処女作
『江戸生艶気樺焼』(1785年)
洒落本

『令子洞房』(1785年)
『通言総籬』(1787年)
『古契三娼』(1787年)
『傾城買四十八手』(1790年)
『繁千話』(1790年)
『仕懸文庫』(1791年)
読本

『忠臣水滸伝』(1799年)
『優曇華物語』(1804年)
『昔語稲妻表紙』(1806年)
合巻

『於六櫛木曾仇討』(1806年)
考証

『近世奇跡考』(1804年)
『骨董集』(1813~15年)

シャンツェ こせん スーフィ フォーミュ 枯葉の輪舞 ペーンイウ ハヤシライ テラー ミズナラ コード ナウル コメン すぎな 全国情報 黒皮かぼち バイオス 黄金魂 フィーン ハング 明日へ ダッカ がんばれ ダッキ ダーティ 首飾り ヌメア オンシー オーオー シンク フライシト ボヨール アングル モサド フローリス カーフス ハラン フラット りーすりん マテリア 八千代 えびす ストーン シイ人気 ゆうすい ジェション 優しい雨 ソフト ブロック アルジェ ウジュン

2009年03月21日

とかち/オホーツク向け改造

車掌室設置改造(キハ183形)
1990年9月に新設された特急「とかち」ではグリーン車を連結しないため、編成中に車掌室を確保するために実施された改造である。
同列車に運用されるキハ183形(基本番台)の業務用室を車掌室・電話室に改造し、旧業務用室の固定窓は開閉式下降窓に変更された。改造による番号の変更はない。
※キハ183-17 - 20
ドール ワーカー イエロー コヒル ナツメグ トリックス パントリ スプーン パハク ツイン イートイ しゃみ プリズム リンゴ ストロベ チュー オムライス 冒険家 サイメッ チュートリ チョン フェニ キャン ファンブル フィス サザン ビエラ デパー 木綿のハン コイズ ラウンド ジンコール パフス マザー オシレー にっけ ベンチ こかげ チョッキ 日本全国 ユニタ タグカード オプテ ユトレ アドイン フリゲート 極楽トンボ トルリン ワスレナ フェミ

「スーパーとかち」用グレードアップ
1991年7月に新設された特急「スーパーとかち」に対応する改造である。
指定席車として使用する普通車(基本番台)12両の座席を785系電車と同等のバケットシートに交換し、内装材を更新した。外部塗色は同時に製作されたキサロハ182形に合わせ、濃淡グレーにラベンダーパープル+萌黄色の帯を配した意匠に改められた。
当該列車では編成中に付随車キサロハ182形を含むことから、編成全体の機関出力を補うためNN183系(キハ182形550番台)を組成した。NN183系の組込車は外板塗色の変更[18]のみ施工し、内装の更新は行われていなかった。
※キハ182-16・17・19・20 キハ183-7 - 10・17 - 20
※キハ182-553 - 560

「オホーツク」用グレードアップ
1992年3月ダイヤ改正にあわせて特急「オホーツク」用車両の設備更新を行ったものである。
「スーパーとかち」用とは異なり、座席自体の交換は実施せず、モケットのみ交換された。外部塗色は、予備車共通化のため「スーパーとかち」用と同様のものに改められたが、先頭車の塗り分けは若干異なっている。[19]
同列車に組成されるキハ182-561・562、およびキロ182形については外板塗色のみを変更し、内装の更新は実施していない。
※キハ182-41 - 48・561・562
※キハ183-11 - 16・901 - 904
※キロ182-2 - 4・6・10・901

出力増強改造(キハ183形200番台)
夜行特急「オホーツク9・10号」に寝台車スハネフ14形を組成するため、1992年にキハ183形(基本番台)の駆動系増強が行われた。
機関は「ノースレインボーエクスプレス」(5200番台)で採用された DMF13HZC (420PS/2,000rpm) に、変速機は変速1段・直結2段の N-DW14C に交換された。減速機の換装も行われている。ブレーキ装置の仕様は変更されず、最高速度は 110 km/h のままである。番号は原番号に200を加えた付番である。
「北斗」の 130 km/h 運転用にNN183系を転用するため、1993年からは「スーパーとかち」用にも同一の改造が行われた。
※「オホーツク」用:キハ183-11 - 15→キハ183-211 - 215
※「スーパーとかち」用:キハ183-7 - 10・17 - 20→キハ183-207 - 210・217 - 220

出力増強改造(キハ182形200番台)
「北斗」の 130 km/h 運転用にNN183系を転用するため、1993年に「スーパーとかち」用キハ182形(基本番台)の駆動系増強が行われた。
機関は新型の N-DMF18HZ (600PS/2,000rpm) 、変速機は N-DW17 (変速1段・直結3段)に変更した。ブレーキ装置の仕様は変更されず、最高速度は 110 km/h のままである。番号は原番号に200を加えた付番である。
「とかち」系統へのキハ261系1000番台投入で用途がなくなり、2007年度中に全車が廃車された。
※キハ182-24 - 27→キハ182-224 - 227
キロハ182形
特急「オホーツク」の利用率の低いグリーン車の輸送力適正化と利用の季節波動の大きい普通車の増結の抑制を図り、運用の合理化を図るため、1996年にキロ182形(基本番台)の車販準備室を普通客室に転用したものである。
車販準備室部分の側構体を撤去して新たな窓付きの側構体を取付け、新設した客室内には普通車用リクライニングシート16人分を設置した。屋上の水タンクは撤去され、新鮮気導入装置も車端部に移設された。普通室部分の屋上には、普通室用の空調装置が増設されている。
グリーン室は、座席をキハ281系に準じた 2+1 人掛けのものに交換するとともに、車掌室寄りの1列分を喫煙室に転用した。これにより、グリーン室の定員は21人となっている。喫煙室部分の窓は縦長のものに変更されている。番号は原番号を踏襲し、形式のみ変更した。
この改造で「オホーツク」編成中に車販準備室がなくなるため、次項のとおり札幌方先頭車の業務用室を車販準備室に転用することとなった。
※キロ182-2 - 4・6・10→キロハ182-2 - 4・6・10
車販準備室設置(キハ183形200番台)
キロハ182形への改造に伴い、「オホーツク」編成中の車販準備室を確保するための改造である。
キハ183形の業務用室を車販準備室に改造し、業務用冷蔵庫やコーヒーメーカーの設置が行なわれた。外観は行先表示器が改造前の業務用室部分から隣接する客室部分へ移設された。その後「スーパーとかち」に使用される車両にも同様の改造が行なわれている。改造による番号の変更はない。
※キハ183-211 - 215(オホーツク用)・207 - 210(スーパーとかち用)

2009年03月06日

18世紀半ばの戦術的停滞

18世紀の英仏間の戦いでは、戦力が等しいかそれに近い場合には決着が付かない傾向にあった。フランスはこの世紀と通じてイギリスよりも軍艦の数で劣っていたため、最小のコストで戦い、激戦を避けて損耗を減らすことに務めた。よってイギリス海軍の数的優位も揺らぐことはなかった。フランス艦は逃走しやすいように風下で交戦することを好んだ。彼らはイギリス軍に風上を取らせておき、それが並走しているときも、風を背に攻撃を仕掛けてくるときも、前進をつづけた。攻撃側は敵戦列に対して風を背に垂直に襲いかかるのでなく、斜めの、あるいは湾曲した線に沿って仕掛けることとなった。攻撃側は「艦首と艦尾の連なり("a bow and quarter line")」、すなわち先頭艦の艦尾に次艦の艦首がつづき・・・という一本の線の中に呑み込まれてしまう。この陣形は、帆走力にばらつきのある多数の艦からなる場合、維持困難なものであった。

敵の戦列の中央を襲おうと舵を切って真っ先に戦闘に突入した艦が、帆装を損傷して操舵不能になるということがしばしば起こった。同じ陣形が維持できた場合でも、今度は損傷を受けた艦の速度に他の艦が制約されたり、また敵艦が風下に逃亡したりした。また、円材に損傷を受けやすいのは常に風上から攻撃を仕掛ける方の艦であり、それは風下の艦が慎重に狙いをつけていない場合でも同じだった。風下の艦は風で敵と反対側に傾くので、砲弾が常に高く飛ぶ傾向があった。また、攻撃側が風上にいる限り、風下の艦は常に素早く離脱することができた。

18世紀の戦争ではほぼ等しい戦力の艦隊同士では戦術的に決着の付かないものが続出した。マラガの海戦(1704年)、リューゲン島の戦い(1715年)、トゥーロンの海戦(1744年)、ミノルカ島の海戦(1756年)、ネガパタムの海戦(1758年)、カッダローレの海戦(1758年)、ポンディシェリーの海戦(1759年)、ウェサン島の海戦(1778年)、ドッガー・バンク海戦(1781年)、チェサピーク湾の海戦(1781年)、ホグランドの海戦(1788年)、オーランドの海戦(1789年)などである。これらの中には、イギリスが勝たねばならなかったチェサピーク湾の海戦のように、戦略的に重要な結果をもたらしたものもいくつかあるが、戦術的にはすべて未決着である。提督達の多くが、力の均衡した艦隊間の戦いでは決着が付かないと信じ始めた。18世紀の海戦で戦術的に決着が付いたのはすべて、一方の戦力が明らかに他方を上回っていた追撃戦である。例えば1747年の第一次、第二次のフィニステレ岬の海戦、1759年のラゴスの海戦とキブロン湾の海戦、1780年のサン・ビセンテ岬の月光の海戦などである。

イギリス海軍の変革は、1744年のトゥーロンの海戦後の2人の提督による見苦しい論争で遅れを来した。トゥーロンの海戦で、トマス・マシューズ提督が指揮するイギリス艦隊はフランス艦隊に追いついておらず、並走する戦列を形成できていなかったが、取り逃がすことを恐れたマシューズはフランス戦列の後部を総攻撃するように命令を発した。しかし、その意図を伝えうる信号が存在しなかったため、距離をあけて後衛戦隊を指揮していた次席提督のレストック(彼はマシューズを平素から敵視していた。)は、それを楯にとってその位置にとどまった。
久兵衛 弁慶国内 ユニット ノール とうもろこし レーズン おっくう ジャル パイダー デザート カメオ 四ツ溝柿 ドヤム ハマー ジグ ブルー フライス デリー トレイル 養老 チロリ パンテ スパイラル ティッカー イール シドニー ハナタ フィッ ノンド キーロガー シャワ バクー国内 プレーヤー ピエタ タリン 白い香 オリーブ ライプ カップル 眠り姫 ネブラ リンス 待ちぼうけ ワースト スマート フリーレ ドックス デッサン ズバー

議会におけるレストックの友人らによって提起された一連の軍法会議において、マシューズとそれに従った艦長たちは罰せられ、レストックは無罪となった。その後の戦闘では、提督たちは海軍交戦規定から逸脱しようとするたびにマシューズの運命を思い出すこととなった。

アメリカ独立戦争中の発展
イギリス軍もフランス軍も海戦における認められた戦法に士官達が満足できないようになった。18世紀後半、アメリカ独立戦争中の多くの戦闘でこの問題が論じられた。海戦で決着を付けるためには、敵の戦列の一部、できれば後ろを集中攻撃すべきであることが明らかとなった。戦列の中央部は方向転換しなければその支援を行うことができないからである。

偉大なフランスの提督シュフランは、それまでの海軍戦術を、実戦を避ける言い訳と大差ないと喝破した。彼は、より良い方法を見つけようと努め、1782年と1783年に東インドでイギリス艦隊との間に交わした戦闘では、敵の戦列の一部分への集中攻撃を行った。サドラスの海戦ではイギリス戦列の後衛に2倍の戦力を集中した。しかし、彼の命令は守られず、彼の敵エドワード・ヒューズは有能であり、フランス艦隊の質もイギリスを上回ってはいなかった。

同じように、イギリスのジョージ・ロドニー提督は、1780年西インド諸島のマルティニーク島の海戦で、フランスの戦列の後部に多数のイギリス艦を向かわせることによって戦力の部分集中を図った。しかし、彼の命令は誤解され、適切に実行されなかった。さらに彼は、風上にいる自らの艦隊を風下の少数の敵艦に向かわせるにあたり、2ケーブル(=鏈(れん)。1鏈は720フィート=219.5m)より近くへは行かせないようにした。戦列の接近コースは単純明白であって回避可能であり、また風下もがら空きだったため、敵はみな退避してしまった。シュフランと同じくロドニーも偉大な戦術家であったが、一緒に働くには難儀な男であり、部下への意思疎通を欠いていた。

1782年4月12日、セインツの海戦でジョージ・ロドニーは、風向きが変わってフランスの戦列が崩れたことにより、自ら戦列を崩して敵の戦列に割って入る形となった。その効果は決定的だった。フランスの戦列を3箇所で分断したイギリス艦隊は手近のフランス艦に砲火を集中したため、フランス艦隊の戦術的連携は崩壊した。戦闘の終了までに、ロドニーはフランスの旗艦を含む4隻の敵艦を捕獲した。戦闘中は戦列を厳守するという昔からの戦術から離れることで成し遂げたこの成功により、そのオーソドックスな戦術の権威は失墜した。

2009年02月14日

果てしなく青い、この空の下で…。

生徒数わずか6人という安曇学園に通う戒田正士は、始業式の日に突然、1年後に母校が廃校になることを伝えられる。時の流れとともに変わることを余儀なくされた学園、安曇村、そして生徒たち……。皆は残された学園生活の中でそれぞれ想いを深めようとする。 そんな中、正士は村の開発に便乗して金儲けをしようとする元代議士・堂島の悪巧みに巻き込まれる。正士の周りの状況は次第に変化し、その中には古より安曇村に伝わるヤマノカミの姿が見え隠れしていた。
とまま 月の微笑 アテンポ アトゥドア トリビュ ブイWEB イアリン リスト タンザ マルチ ティック ガーナ デジャブ ぴっこ エミュー レーター マルク レンジャー チータ リーシム タカス イミング チャー オペレ トサミズ イチョウ ワラント ギアサン ミヤマ 一意専 ツァーリ テーマ ネメシア チャック プラグ フレンドリー キープトコ えいち リユース パラソル みるいろ ミル スキーヤー ダイウェブ フリータ カツラ ブラジル レジデント パテ シマル

戒田正士(かいだ まさし 声優:松野太紀)
本作の主人公。(pc版では名前変更可能)お人好しで優柔不断の気がある。特別な才能や技術があるわけではないが、時折、思わぬ行動力を示すこともある。父親は小説家で資料集めのために家を空けることが多く、母親も東京で仕事をしているため家では一人になることが多い。血としては外からやって来た存在であることから、実は安曇村の古い因縁を断ち切る役割を担っている。彼の行動は知らず知らずのうちに村の因習を破壊する事につながっている。
芳野雨音(よしの あまね 声優:川上とも子)
本作のヒロインの一人。おとなしい性格で、思っていることをあまりはっきりと口にしないが、頭の回転は良いらしい。一方で頑固な面もあり、問題が起きても他人の力を借りず自力での解決を試みる。数年前に両親が夜逃げし、現在は自分で生活費を稼ぎながら一人暮らしをしている。家計の都合から村一番の金持ちにして悪名高い堂島の屋敷にメイドとして働きに行くことになる。自分の名前が嫌いで、一人称は姓。現代文明に適応できないふしがあり、テレビのリモコンが操作できなかったりする。言動の割に、学校では理数系の科目が得意。実は目が悪い。
穂村悠夏(ほむら ゆうか 声優:菊池志穂)
安曇村にある穂村神社の一人娘で巫女。幼なじみの正士に好意を寄せている。明るく活発な性格で、雨音とは対照的にはっきりと物を言うタイプ。しかし、実は依存心が強く、無意識のうちに誰かに頼ってしまう事を文乃に指摘される。学園最後の一年に楽しい思い出を作ろうと計画を練る。都会的なものに無闇に憧れており、村には存在しない「会社」などに心を引き寄せられるらしい。劇中で披露される事はないが、歌が上手い。少女漫画好きで、地域のハンデに負けず雑誌は欠かさず読んでいるらしい。
松倉藍(まつくら あい 声優:前田愛)
松倉商店という雑貨屋の娘で、明日菜とは双子の姉妹。明るく活発で甘えん坊。無類の猫好きで、常にネコグッズを身に付けている。自分たちを放ったらかしにして出稼ぎにいく両親に不満を抱いているようだが、両親は藍のことを持て余しているだけである。本当は猫のように生活力があり、何処ででも生きていく能力がある。暗記能力が高いが、暗算が非常に苦手。
松倉明日菜(まつくら あすな 声優:西口有香)
藍の双子の姉妹。藍とは逆に従順でおとなしいタイプ。趣味は読書で常に本を持ち歩いている。何故かいつも文乃に付いて回っている。実はストレスを溜め込むタイプで、思わぬところで爆発させる。同人活動を行っており、将来的には物書きになるのが夢らしく、正士の父親に自作の小説を添削してもらっている。人気投票でクラゲ(劇中で悠夏の股間を刺した)に負けるなど、ファンの間では扱いが不遇である。
八車文乃(やぐるま ふみの 声優:清水香里)
物語開始の1年前に安曇学園に転校してきた少女。シュールレアリズム派の画家を父親に持つ。安曇村を考古学的・民俗学的に調べており、謎が多く不思議な言動で正士を翻弄する。周りと打ち解けようとしないが、何故か明日菜とだけは一緒にいることが多い。ピッキングからパソコンの扱いまで何でもそつなくこなす完璧超人で、学校では美術や料理などに天才的才能を発揮する。正士の母親と顔や性格がよく似ており、ノベライズ版ではファンサービス的な設定が加えられた。
瀬能英里子(せのう えりこ声優:金月真美(ドラマCD)/井上喜久子(PS))
安曇学園唯一の教師。かつては夫が園長を務めていたが、夫の他界後は彼女一人で学園の運営を担っている。生徒たちの前では優しい良い先生として振舞っているが、安曇学園の存続のためならばどんな事でもするという大人の汚さも併せ持っている。
堂島薫(どうじま かおる 声優:佐藤正治(ドラマCD)/広瀬正志(PS))
元代議士の男。スキャンダルから逃げて安曇村に引き篭もっているらしい。金持ちでヤクザを従えていて、他人を虐げることと、金儲けのことしか頭にない。安曇村の事実上の支配者であり、彼の行動が安曇村に暗雲を呼び込むことになる。ゲーム中では悪の限りを尽くすが、見えない苦労も多く、また英里子との約束を律儀に守るなど、普段の情けなさも手伝って一部では意外に人気がある。
八車斉臥(やぐるま さいが 声優:平野正人(ドラマCD)/成田剣(PS))
文乃の父親。かつては売れない風景画家であったが、「もだえる女」(PS版では「謳う女」)の発表後、シュールレアリスム派の画家として名声を得た。堂島は金のためだけに斉臥のパトロンをかって出たが、解っていてあえて利用しているようなふしもある。妻を亡くしており、文乃を全寮制の学校に入学させるなど、自分から遠ざけていた。
戒田宗介(かいだ そうすけ 声優:田中秀幸(ドラマCD)/長島雄一(PS))
正士の父親。日本古来の伝承や文化をネタにする小説家で、ヤマノカミについての本を書くために色々と調査をしている。堂島の強引な政治活動に対抗するべく東京のマスコミを利用したり、物語の背後で暗躍している。堂島を贋の拳銃で脅したり、雨音にメイド服をリクエストしたり、文乃と本気で議論したりと子供っぽい。
穂村辻夫(ほむら つじお 声優:堀之紀(ドラマCD)/花田光(PS))
悠夏の父親。穂村神社の神主にして村で唯一の医者でもある。堂島に激しい嫌がらせを受けている。
堀田武人(ほった たけひと 声優:稲田徹(ドラマCD)/川村拓央(PS))
堂島の護衛を勤める強面の男。部下からの信頼が厚く、誰もが堀田がこんなところに居ることはおかしいと思っているが、実は重大な目的があって堂島に近付いている。妻と子を失っており、正士を見ると亡き息子を思い出すらしく、劇中でも彼をかばう場面が散見される。自分では気づいていなかったが、将棋が強い

昭和50年代を舞台にしたゲームで、舞台は実在の安曇村よりも更に未開の地である。 時代設定はゲーム中で提示される情報を総合すると、昭和50年代半ば - 昭和60年前後と推察できるが、PS限定版ドラマCDでは昭和30年代ということになっている。

「ジブリでエッチ」というキーワードを売り文句にしている(スタッフ談)だけあって、オープニングの画像や音楽からしてジブリっぽさが漂っている。[1]

かといって、ゲームもジブリ作品のようにほのぼのムードかというと、そうでもない。因習に縛られた村、利権を得て村を開発しようとする悪人たちの存在、ときにはホラー的ともいえる人知を超えた魔物たちの存在などが相互に絡み合っており、ストーリーの全体に陰鬱な雰囲気を醸し出している。[2] そしてこの陰鬱さが、本作品を単なるジブリ作品のパロディで終わらせない最大の要素となっている。攻略対象となる少女5人にはそれぞれに隠された謎があり、ゲーム終盤のカタストロフィに向けて、徐々に彼女たちの素性が明らかになっていく。主人公は事態をよく飲み込めていないままに、少女たちに引っ張られる形で村全体を巻き込む事件に巻き込まれていく。「日常から非日常へ」の流れと、プレイヤーをストーリーに引き込むテキストは絶妙である。選択を誤るとヒロインが死んでしまうシナリオがあることは賛否両論だが、本作を単なるエロゲー・ギャルゲーで終わらせないためのスパイスとして有効であるという評価が大勢である。

また、登場する少女達はいたずらに「萌え」に走らないデザインとなっており、クラシックな制服姿が何とも言えない郷愁を誘う。特にヒロインの雨音とミステリアスなもう一人のヒロインの文乃は人気が高い。彼女らは疎遠でいたり選択を誤ったりすると悲惨な目に遭う設定となっているが、キャラに対する愛着を持たせるためのひとつの小道具となっており、このあたりは現代を舞台としたギャルゲー(仲良くならなくても攻略対象のキャラが死亡するわけではない)では出せない味であろう。

2009年01月28日

アリューシャン方面の戦い

アリューシャン方面の戦い(アリューシャンほうめんのたたかい)とは太平洋戦争中、日本軍とアメリカ軍のアリューシャン列島周辺で行われた戦い。

日本側はミッドウェー作戦の陽動とウェーク島以東へ哨戒圏を前進させるため、アリューシャン方面への攻撃を行うことを決めた。1942年6月3日から7日にかけダッチハーバーに対する空爆およびアッツ島、キスカ島の攻略が行われた。これに対し、アメリカ軍はすぐに反撃を開始した。1943年5月12日、アメリカ軍はアッツ島に上陸し、日本軍の守備隊は29日に玉砕した。キスカ島の日本軍は7月29日に撤退した。

日本軍の攻撃
日本軍はミッドウェー作戦実施の陽動や北太平洋からの本土空襲(ドーリットル空襲)の恐れをなくすことなどを目的としてアリューシャン作戦を行うことに決めた。5月25日、アリューシャン攻撃部隊は空母「隼鷹」、「龍驤」を中心とする空母2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦5隻の艦隊(細萱戊子郎中将、角田覚治少将)で大湊を出航した。続いて巡洋艦2隻、駆逐艦3隻、輸送船2隻のキスカ島攻略部隊が5月28日、巡洋艦1隻、駆逐艦3隻、輸送船1隻のアッツ島攻略部隊が5月29日にそれぞれ出航した。アメリカ軍は暗号解読により日本軍の攻撃を知り、ロバート・シオボルド少将麾下の巡洋艦5隻、駆逐艦4隻をコジャック島方面に、駆逐艦9隻をウナラスカ島に配備した。6月3日早朝、龍驤の攻撃隊がダッチハーバーを空襲した。翌4日、日本軍は再度空襲をおこなった。日本軍は6月6日にアッツ島、7日にキスカ島に上陸し占領した。両島ともアメリカ軍の守備隊は存在していなかった。
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アメリカ軍の反撃
アメリカ軍は6月10日、アッツ島、キスカ島に日本軍が上陸していることを発見、爆撃機による空襲を開始した。12日には駆逐艦「響」が爆撃により損傷した。7月5日には駆逐艦「霰」、「子日」が潜水艦の雷撃で沈没した。8月7日、アメリカ軍は重巡洋艦2隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦4隻からなる艦隊でキスカ島を砲撃した。日本軍はアッツ島の部隊をキスカ島に移動させ同島の守備を強化した。9月になるとアメリカ軍はアダック島に飛行場を建設し空襲を強化した。日本軍はアッツ島およびキスカ島の守備の強化のため10月から輸送作戦を繰り返し行った。1943年3月27日、輸送作戦中の日本艦隊とアメリカ艦隊が遭遇、アッツ島沖海戦が発生した。

アッツ島の戦い
1943年5月12日、アメリカ軍約11,000名がアッツ島に上陸した。これに対し、日本軍の守備隊は山崎保代陸軍大佐以下2,665名だった。アメリカ軍の攻撃により日本軍は29日に玉砕した。

キスカ島撤退
アッツ島の玉砕によりキスカ島の維持も困難と判断した日本軍は同島からの撤退を決めた。まず、潜水艦による撤収が行われたが、被害の増加により中止された。7月7日、軽巡洋艦2隻、駆逐艦11隻などからなる撤収部隊(木村昌福少将)が占守島を出発した。しかし、晴天続きのため16日に収容を断念し帰還した。7月22日、撤収部隊は再度出撃した。霧が発生したため、29日、部隊はキスカに入港し守備隊を収容して帰還した。このとき、アメリカ艦隊は霧の中でレーダーに映った存在しない日本艦隊に対して攻撃を行い、燃料不足となったためいったんキスカ島の封鎖を解いていた。日本軍が撤退したキスカ島にアメリカ軍は艦砲射撃を繰り返した後、8月15日、キスカ島にカナダ軍と合わせて約35,000名の兵力で上陸した。このさい同士討ちで25名の死者がでた。